2022年八月六日

「蝉がなき 原爆落ちた 今日も鳴く」

 77年前の悲惨な出来事、今年の原爆の日はいつもと違った思いになった。
ロシアのウクライナ侵攻で原爆が使用されるのでは?そんな懸念が世界中に広がり
核軍縮は愚かむしろ増やして持ち続ける、持っていなかった国が持つのではないか?
とそんな不穏な動きがひしめいている。
12年ぶりに国連事務総長グテーレスさんが「ご招待ありがとう!」そう言ってらした。
招待しなくても「広島に行って核使用禁止!を声を大にして毎年(毎日)言ってほしい」
世界中の多くの人々がそう願っているはず。
  戦わなければならないのは自然の脅威! お金を使わなけれなならないのは人命を救う 美しい自然、地球を護る事に! 決して莫大な金額の武器 核 ではないはず!   今も自然災害が跡を立たない! 人が人を信じられないことが悲しい   人が作った核 武器  だから 人が失くす事も出来るはず  しかし 私は何も出来ない  ただこうして書くことだけ  もう一度広島を訪れてみようと思う   そして     孫たちにその恐怖 核を持つことの愚かさを 如何に無駄な事かを話して見たい  
 
 以下今朝の広島市長松井一美さんの平和宣言の文章の一部です。

 「ロシアによるウクライナ侵攻では、国民の生命と財産を守る為政者が国民を戦争の道具として使い、他国の罪のない市民の命や日常を奪っています。そして、世界中で、核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増しています。これらは、これまでの戦争体験から、核兵器のない平和な世界の実現を目指すこととした人類の決意に背くことではないでしょうか。武力によらずに平和を維持する理想を追求することを放棄し、現状やむなしとすることは、人類の存続を危うくすることにほかなりません。過ちをこれ以上繰り返してはなりません。とりわけ、為政者に核のボタンを預けるということは、1945年8月6日の地獄絵図の再現を許すことであり、人類を核の脅威にさらし続けるものです。一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはなりません。また、他者を威嚇し、その存在をも否定するという行動をしてまで自分中心の考えを貫くことが許されてよいのでしょうか。私たちは、今改めて、『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。今年初めに、核兵器保有5か国は「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」「NPT(核兵器不拡散条約)の義務を果たしていく」という声明を発表しました。それにもかかわらず、それを着実に履行しようとしないばかりか、核兵器を使う可能性を示唆した。」   プーチンはこれを聞いて(読んで)何か感じているのだろうか? せめて 聞いて欲しい 読んで欲しい! 「陽を浴びて ひまわり咲いて 夏はゆく」