友達の死

竜ヶ崎に越して来たのは38年前
生まれてから一番長く暮らしている場所になった
緑が多くふるさと片品にもちょっと似ているので「暮らしやすい」
のが長く住んでいる理由かもしれない
 そんな竜ヶ崎で小学校の子供のPTAで「広報」担当した事があった
そこに集まった広報委員(10数名)の中の6名とは未だ交流が続いている
結構こだわった広報は県で二位になった事もあったりして絆も深まった

油絵教室 コーラス テニス 旅の友 飲み仲間・・・と友達はどんどん増えていったがその時の6名とは何かと一緒にする事が多かった
その中の一人
 ずっと一緒だったともだち
昨日まで・・・
 彼女は一年ちょっと闘病生活を送っていた
元気になれる!みんなそう思っていた
 昨日の朝彼女の息子さんからのお電話があった
悪い予感は当たってしまった
旅立った事を知らされた
 しばらく仕事もおぼつかない状態だった
 長いこと続けていたコーラスではずっと支えて頂いていた
生前「死ぬことになっても覚悟は出来ている」そう仰った事がある
とても気丈な人だった
冷静に 今置かれているご自分と対峙されていたのかもしれない
時々ご自宅に見舞ったが会うたびに「これが最後かも」と仰っていた
 もういない!そう思うととても悲しい
せめてもの救いは「穏やかに息を引き取った」という息子さんの言葉だった
明後日の告別式で会える
「色々ありがとうございました」
そう伝えたい