2017年

2月

15日

コラム「デーリー東北」を読んで

作家の黒井千次さんが雑誌のインタビューで「老い遅れ」という言葉を使っている。芥川賞の選考委員などを歴任し、84歳の現在は日本芸術院の院長などを務める。言葉に厳しい人があえて辞書に載っていないような言い方をした。
 老いにあらがい、若さを追い求めるアンチエイジングは、考えは立派かもしれないが、年不相応ではないのか。「老いるべきときに老いていかないと、老い遅れます」(『サライ』3月号)。
 若い世代が若さを発揮するのは自然なことだが、老人には若者とは違う身の処し方があるはずだ。それなのに、やみくもに若さを追求するあまり、年齢を重ねてきた者にとって大切な生き方を見失っては具合が悪い。
 「健やかに老いてゆくのが理想」と言う黒井さん。医師の勧めで健康のために散歩をしているそうだが、運動というよりは気分転換の意味の方が大きいらしい。年相応をモットーに、自然体で老いと付き合っている姿が浮かぶ。」
「老いるべきときにおいてゆく…」
この言葉にノックアウトされた!
自然でいいんだ…と

2017年

2月

03日

節分

   今日は節分
この日にいつも思い出す風景がある
小学校4年生頃だったと思う
    雪深い片品は(今よりずっと多かった気がする)節分(立春)といっても
まだまだ雪の中・・・
屋根から落ちた雪が一階の窓いっぱいに積もり二階に届きそうな雪道ができる
そこに向かって豆をまくのだがその豆をいるのがこちらでは柊でいるそう
しかし母はいつも豆殻の枝でいり、イワシの頭を串に刺し何か呪文のようなことを言って
ぺっぺっ!唾を吐く(この日だけは人の悪口を言って(イワシの頭に聞いてもらう)もいい日だったような?
意味は分からない、今も分からないけど・・・
ただそれを言った後は後腐れなく日々過ごすための行事だったかもしれない
今も、姉たちはやっているのだろうか?
   次の日友達と前の日にまいた豆探しをよくして数を競ったりした
そんな風景を思い出す
今日も、孫達のために朝から海苔巻き作り(昔は恵方巻きなんて食べる風習はなかったような?)
恵方巻き販売のノルマが課せられる・・・そんなニュースがここ2、3日流れている
    今年の片品は昔のように雪がたくさん降っているそう
兄から雪見温泉、雪見酒を飲みに帰って来いとの電話があった