「「哀蚊」。そう書いて「あわれが」と読む。太宰治の短編小説「葉」の中に出てくる。「秋まで生き残されている蚊を哀蚊と言うのじゃ。蚊燻(かいぶ)しは焚(た)かぬもの。不憫(ふびん)の故にな」。
そう聞けば、哀蚊の「哀」にほだされて九月の蚊を打つ手もためらい、見逃してやるかという気にもなる。
蚊に刺されても、かゆみを感じなかったという物理学者の寺田寅彦は「蚊のいない夏は山葵(わさび)のつかない鯛の刺身のよう」で物足りぬと書いている。」コラム東京新聞 筆洗より
うちの庭は蚊が生きるのには絶好の場
いつもなら、夕方になると客席の蚊取り線香を欠かせなかった
ところが、今年は猛暑のせいか蚊の活躍をあまり感じなかった
程よい気温になったらまた活躍するのだろうか
今日は涼しく蝉の鳴き声が虫たちにバトンタッチされたようで草むらから秋を奏でていた
「哀蚊」と言う言葉を知った